楽しいブログ

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5月くらいまでは怯えて暮らす

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先日沖縄に行った



二泊三日の一人旅、完全に「恋人のいない大人が一段階"諦め"の方向に進む行動」だと思った



なぜ沖縄に行ったのかというと、明確な理由があったのだがそこは割愛して

第二の理由が今年の初夢が家族旅行で沖縄に行く夢で、起きた後


"この際家族は置いといて今年中に沖縄に旅行するぞ、あとあわよくば北海道も行きたい"


と思っていたから。

まだ半分も経たないうちに今年の目標を叶えてしまったのである。本当は"あわよくば"北海道も行きたいので7割くらいといったところだろうか。


沖縄は過去に一度、学生時代修学旅行で行ったことがあるのだが12月の沖縄は普通に寒く、「住んでるところの今の気温は"痛い"だけど、沖縄はまだなんとか"寒い"に留まっているな」とダウンジャケットを羽織りながら思ったことを覚えている。


あと修学旅行でよくあるイベントの消灯時間過ぎた後に他の部屋に遊びに行くを実行しようと思いドアを開けたらピカチュウの着ぐるみを着たクラスメイト(男子)がコソコソ歩いていてもっとステルス性高い寝巻きにしろよ…と思いつつ、その男子に教師が今どの部屋にいるのかなど情報交換をした。


海も見なかったし沖縄である必要性が何一つない思い出ばかりだ



ということで感覚的には初の場所だったので沖縄へ行く前から私は非常に浮き足立った生活をしていた  

ただ同僚や友人に沖縄に行くという話をすると二言目には「え?誰と行くの?」と聞いてくるので一人で行くと伝えて引かれるか引かれないかかなり焦りつつ「友達と…」と答えていた。


そんな中沖縄の観光地やグルメなどを見ていて大変なことに気付いた



沖縄は車社会だということである



空港は那覇にありそれは沖縄の中で南部と呼ばれているらしく、私が行きたいとぼんやり思っていた美ら海水族館は北部、車で移動する距離だという事に気付いた



無理じゃん



私は運転免許を持っていない  一応ド田舎で沖縄に負けないくらいの車社会の土地に住んでいる。女の子が理想の恋人の話をする際「車持ってない男は論外」と絶対に言うような場所だ


しかしこれまで家族を中心に職場の人や友人など、ありとあらゆる交友関係の助手席をキープし続け

1人の際は車で20分の地元のショッピングモールより電車で90分の都内の店に行くような人間だった

(ちなみに車で20分のショッピングモールに本当に行きたいが連れて行ってもらえる人がいない場合自転車で1時間かけて行っていた)


運転免許が無いので運転ができないし、運転ができないので遠くに行くことができない


これは非常に焦った  飛行機のチケットを買った際、やたらにレンタカーを勧められたがここでやっと意味がわかった   オススメ観光プランとかも車で〇〇分が多すぎ



わたしは北部へ行くことを諦めた


検索してみると空港からバスで美ら海水族館にいけるプランなどあったのだが、完全に心が萎えてしまい「行って帰る移動時間が勿体無い」と元も子もないことを考え南部で今回の沖縄を満喫する事に決めた


美ら海水族館に行かなくても国際通りがある  島なんだから海なんかどこ行ってもあるだろうし首里城も南部にあるっぽい   いいぞ、観光っぽい


そんな気持ちでわたしは沖縄へ向かった



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海!!!!!!!!!



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首里城!!!!!!!!!


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国際通り〜〜〜〜!!!!!!


結果的に北部へ行かなくても二泊三日の一人旅はメチャクチャ楽しく過ごすことができた

本当のことを言うと途中やることがな過ぎて国際通りを何もすることなく5往復くらいして時間を潰したが、適度な異国感と日本という土地の安心感を心地よく感じながら非常にリラックスして時を過ごせた


沖縄という土地はなんとなく、人をのんびりとさせる力があると感じた


ウチナータイムというものがあるが、沖縄に来て根拠なく納得した  


旅行者の心もここまでのんびりさせるなら、この土地に住む人々は時間の使い方が本土の人間と違うのは当たり前なのかもしれない


あたたかくて、ここちよくて、お酒を飲んで、海を見て、幸せを感じながら眠る


もちろん沖縄には悲しい歴史があるのだがそれに向き合うのを義務に感じず、今の沖縄をめいっぱい楽しんでわたしは帰宅した


今度は北部にも行きたいし、もっとしっかりプランを練ってから行きたい、と既に次の機会を待ち望んでいる


仕事に忙殺される日々に戻っても、あの3日間の楽しかった思い出でしばらくは頑張れそうだと思った





つい最近ニュースを見たら沖縄でメチャクチャ麻疹が流行ってるらしい


二次感染してる人の行動歴見たら完全に私が沖縄旅行してた日に国際通りにいる



やっっっっっっっべ




やっっっっっっっっっっっっっべ


駅の立ち食いそばはシジミの味がする


前回ブログを書いてからめちゃくちゃ時間が空いてしまった  理由としては特に書きたいことが見つからなかったのと、ブログを読んだらあまりにも恥ずかしくてこれ以上傷口を広げるのはまずいと思ったからだ


黒歴史というものは自分自身の最大の汚点でもあり同時にこの時代に自分は形成されたのだと確信できるたまらなく愛おしいものである



しかしこのブログは黒歴史とかそういうものですら無く純粋な"汚点"そのものになるんだろうなという予感はひしひしと感じる  私のことを知っている人に読まれる日が来ないことを祈りたい



タイトルにも書いたが、駅のホームにはよく立ち食いそばがある


私は田舎に住んでいるので最寄駅には立ち食いそばはおろか最近駅の目の前の飲み屋も閉店したほど過疎化が進んでいる


ただ、そこよりもう少し活気のある駅や、人口密集地の近くの駅にはだいたい駅構内に食べ物が売っている店があるものだ


立ち食いそば以外にも、コンビニがあったり、カフェがあったり、見たことのない名前の店が駅ホームでは寡占的に滞在している



話は少し逸れるが私は出掛けると一人で回転寿司によく行く


一人で出かけた時のひとつの楽しみとして行くとか、そういった理由は残念ながらほとんど無いが(全く、ではないのは私は寿司が好きだから)


回転寿司屋は他の食事の選択肢と比べて圧倒的に時間がかからないのだ



私が一人で出掛ける時はだいたい"何をするにも時間は足りないけど、何もしないとすると時間がありすぎる"という地獄のような空き時間を作ってしまう  自分の時間の使い方が下手なのもあるし、その日に組み込まれた予定の関係上その空き時間はどうしても生まれてしまう


その時間に食事をしようとなると、どこか店に腰を据えてゆっくり食べるのは遅刻を考えてしまうし、かといってカフェなどで軽食をとる程度で満足する空腹でもないのでいつも迷ってしまう  そんな時回転寿司屋は渡りに船のような存在だ




まず一人で入りやすい   


テーブル席があるお店もあるがカウンター席が絶対にある  カウンターで一人で食べていると隣にも一人で食べている人がいることがあるので、実質二人で食べてるようなものなんじゃないかなと思う時もある


第二にしっかりと食事がとれる  


米という主食を食べることができるので満足感もあるし、その時の空腹状態によって量を調節するのが簡単なので気楽に食べられる  お腹は空いていないがこの後のことを考えると食べておいた方がいいなという時は3皿くらいで、一食として食べたいと思っている時は8皿くらい食べている



最後に提供のスピード   


私が一番重要だと感じているのはここである

ファミレスや飲み屋で食べ物を頼むと10分くらい待たされることもザラにあるが、回転寿司屋ではその待っている10分の間に食事を終えられることもできる



ここで思うのがラーメンも早いし、美味しいし、一人で入りやすいのでは?という事だと思うが、私からすると味が一つのラーメンを食べるより様々な種類の一皿二貫を食べられる寿司の方が魅力を感じてしまう。



あとラーメンより安く済む事が多い  店の提示した一食分の値段をこちらが受け入れるより自分の取った皿で値段を調節できる方がありがたい(めちゃくちゃケチなので)


私にとって回転寿司屋は「早い、安い、うまい」のお手本のような存在でありこれからも通い続けるのだと思う


えんがわ、炙りサーモン、ネギトロを食べ続けるロボットだ


そんな中、ある日自分が帰宅するために乗る電車を待っている際にふと立ち食いそばの店に入った



これは最高ですね



早い、安い、うまい。  正直なところうまいの部分は回転寿司と比べたらかなり劣っているが及第点である   ダシが二日酔いの朝に飲みたくなる独特な味をしているように感じる



私はうどんかそばなら絶対にそばで、ざるそばかかけそばなら圧倒的にざるそばだ   年越し蕎麦もざるそばを食べる


しかし立ち食いそばはかけそばを食べてしまう   家でざるそばばかり食べているから外で食べる時くらい食べ慣れないかけそばを食べようと無意識に思っているのか、ただ単に一番安いからなのか(めちゃくちゃケチなので)


しまいには乗りたい電車に間に合うのに一本見送ってかけそばを食べてしまう


しかしこれは本末転倒なので反省した

立ち食いそばは"不意に空いてしまった時間を埋めるもの"であって"これのために時間を作るもの"ではない、そんな気がするのだ



今日も私は一人で電車に乗り出掛けた


以前は月の半分くらい会っていたが今月は一度も会っていない友人と久々に会って、お酒でも飲もうという話だったのだ


しかし友人は持病の鼻炎と花粉で鼻が機能しなくなってしまい来れなくなってしまったそうだ



待ち合わせ予定の場所は友人は片道30分程度だが私は2時間程かかる  さらに今日は早めに着いて済ませたい用事があった

なので私は待ち合わせの場所にほぼ着いた時にその連絡を聞いた


突然めちゃくちゃな空き時間ができてしまったのだ


後ろに何も待っていない完全な空白の時間



まあ友人との予定は無くなってしまったがいつかの機会に済ませようと思っていた用事の数々を今日済ます事ができて結果的には充実した時間を過ごす事ができた



時間が有り余っているので今日はゆっくりと食事をして、ゆっくりと帰宅ができるのだ



なのに私は今日も回転寿司屋に行った


昼食にえんがわ、炙りサーモン、ネギトロ、加えてあん肝ポン酢や軍艦などを食べた


時間があるのに時間が無い時の食事をしてしまった


夜になったがなんとなく帰るのがもったいなくなってしまい一人だが飲み屋に行って酒を飲み軽くつまみを食べ、とてもゆったりとした満足感のある時間を過ごした



そろそろ帰るか、と思い駅へ向かい乗り換えアプリを見ながら乗り換えで余裕が持てるよう指示された電車より一本早い電車で帰路につく


乗り換えをする駅で降りるとその駅が始発のため私が乗る予定の電車は既に停車しており、そのまま電車の出る時間まで車内で待つ事ができた


なのに足は立ち食いそば屋に向かっていた


あと7分しかないのにその7分を立ち食いそばに全振りしてしまった


食券を購入しながらこれで食べてる間に間に合わなくて電車逃したら本当に頭が悪すぎるので一生立ち食いそばは食べないようにしようと心に決めながら店内のカウンターに食券を置いた




今この文章は無事発車時間1分前にそばを食べ終わり、乗った瞬間ドアが閉まった最寄駅への電車の中で打っている



おいしかった〜



液晶越しに現実と向き合う


生まれて初めて仕事をしながら年を越した2018年ももう二ヶ月が終わり3月1日になった


毎年「何か新しいことを始めよう」と思いつつ一切何もしないまま日常をすり減らしている日々に何か変化を出そうと思いブログを書くことにした

ブログなんて何年振りだろう、紙の日記は2日書けば良い方だし、10代の頃思い立ち作った映画や舞台の感想ノートは一作目の途中までしか書かれておらず、内容はおろかもうその作品を見たという記憶も残っていない。インターネット上で書いていたブログもブログというより好きなものを好きと主張するだけの手段でしかなかった


元々文字を書くのは好きでも嫌いでもなかったが学生時代から本を全く読んでこなかったツケで文章を書くのがとても下手だ(本当にそれが理由なのかは分からないが)おまけに自意識が過剰で人に自分の意見を曝け出すのが怖くて仕方がない  顔の見えない相手でもだ

そのわりに"見つけてほしい"という他人任せで自分を過大評価しすぎな感情も持っている。


このブログは特に他のSNSと繋げて「ブログ書きました」みたいな宣伝をする、という事はせずに淡々と書いていけたら良いかなと思っている、何故ならそういうことをする人、というかそういうことができる人が嫌いなのと同時に死ぬほど羨ましいからだ


私はtwitterというSNSを何年かやっている  思いついたことをそのまま呟いて、違うなと思ったらそっと消して、反応があったら消さずにとっておく  特にフォロワーが多いわけでも特別面白いツイートをするわけでもないつまらないアカウントだ


そんな中でフォロワーが"バズる"ツイートをして、実際バズったりするとなんというか、無茶苦茶悔しい

「こいつより私の方が絶対面白いのになんでこいつがバズるんだよ」と思ってしまうし、そういった人がブログ書きました。とお決まりのような呟きとともに貼られた最新ブログのURLをタップし内容を読むたびに「面白いと思われたい奴が面白いと思って面白い言い回しをネットで調べながら書いてるのが伝わってきて必死すぎて目も当てられないわ」と思ってしまう


でも同時に「この人はこうやって面白いと思われたい事を隠さないでインターネット上に発信できるんだよな」とも思う。私はそれが羨ましい

羨ましいという言葉では表現が適切ではないのかもしれないが私の語彙力では言い換えることができない


私は人から面白いとは思われたいが面白いと思われたい奴だとは思われたくはない


でも俯瞰的に見ると私が嫌いなフォロワーより私は圧倒的に"つまんない奴"なのだ


でも私にはそれができない、もしこのブログの更新報告を自分のアカウントで発信しろと言われたら迷わずこのブログを消して全てが無かったことにする。


多分わたしは"面白いと思われたい" "バズりたい" という感情を全て まだわたしは"見つかってない"だけだと言い聞かせているんだと思う


なので今回も例に漏れず自分から一切動かず、誰かに"見つけてもらう"事を待ちながら自分の承認欲求を爆発させていく所存です







書いた文章読み返してたら自分が書いたのにメッチャ腹立ってきた一生燻ってろバ〜〜〜〜〜〜〜〜カ