楽しいブログ

楽しいことをたくさん書くぞ!

液晶越しに現実と向き合う


生まれて初めて仕事をしながら年を越した2018年ももう二ヶ月が終わり3月1日になった


毎年「何か新しいことを始めよう」と思いつつ一切何もしないまま日常をすり減らしている日々に何か変化を出そうと思いブログを書くことにした

ブログなんて何年振りだろう、紙の日記は2日書けば良い方だし、10代の頃思い立ち作った映画や舞台の感想ノートは一作目の途中までしか書かれておらず、内容はおろかもうその作品を見たという記憶も残っていない。インターネット上で書いていたブログもブログというより好きなものを好きと主張するだけの手段でしかなかった


元々文字を書くのは好きでも嫌いでもなかったが学生時代から本を全く読んでこなかったツケで文章を書くのがとても下手だ(本当にそれが理由なのかは分からないが)おまけに自意識が過剰で人に自分の意見を曝け出すのが怖くて仕方がない  顔の見えない相手でもだ

そのわりに"見つけてほしい"という他人任せで自分を過大評価しすぎな感情も持っている。


このブログは特に他のSNSと繋げて「ブログ書きました」みたいな宣伝をする、という事はせずに淡々と書いていけたら良いかなと思っている、何故ならそういうことをする人、というかそういうことができる人が嫌いなのと同時に死ぬほど羨ましいからだ


私はtwitterというSNSを何年かやっている  思いついたことをそのまま呟いて、違うなと思ったらそっと消して、反応があったら消さずにとっておく  特にフォロワーが多いわけでも特別面白いツイートをするわけでもないつまらないアカウントだ


そんな中でフォロワーが"バズる"ツイートをして、実際バズったりするとなんというか、無茶苦茶悔しい

「こいつより私の方が絶対面白いのになんでこいつがバズるんだよ」と思ってしまうし、そういった人がブログ書きました。とお決まりのような呟きとともに貼られた最新ブログのURLをタップし内容を読むたびに「面白いと思われたい奴が面白いと思って面白い言い回しをネットで調べながら書いてるのが伝わってきて必死すぎて目も当てられないわ」と思ってしまう


でも同時に「この人はこうやって面白いと思われたい事を隠さないでインターネット上に発信できるんだよな」とも思う。私はそれが羨ましい

羨ましいという言葉では表現が適切ではないのかもしれないが私の語彙力では言い換えることができない


私は人から面白いとは思われたいが面白いと思われたい奴だとは思われたくはない


でも俯瞰的に見ると私が嫌いなフォロワーより私は圧倒的に"つまんない奴"なのだ


でも私にはそれができない、もしこのブログの更新報告を自分のアカウントで発信しろと言われたら迷わずこのブログを消して全てが無かったことにする。


多分わたしは"面白いと思われたい" "バズりたい" という感情を全て まだわたしは"見つかってない"だけだと言い聞かせているんだと思う


なので今回も例に漏れず自分から一切動かず、誰かに"見つけてもらう"事を待ちながら自分の承認欲求を爆発させていく所存です







書いた文章読み返してたら自分が書いたのにメッチャ腹立ってきた一生燻ってろバ〜〜〜〜〜〜〜〜カ